NIDRの顎関節症(TMD)に関する患者さん啓発用パンフレット

和嶋浩一、慶応義塾大学医学部歯科口腔外科学教室 専任講師
(歯界展望 Vol. 88, No.3 1996-9, P 562-566より著者の許可を得て引用)


  • このパンフレットはNIH(米国立衛生研究所National Institutes of Health=米国医学研究の総本山)の下部機関で、国立の歯科研究の最高機関であるNIDR(National Institute of Dental Research)がTMD(顎関節症)に関する現時点での考え方を一般に知らしめるために作られたものである。
  • 内容は平易な英語で判りやすく書かれており、原因、治療法などアメリカの考えをかなりストレートに表現している。
  • 最初に述べたように、このパンフレットは専門家向けではなく、一般患者向けのものであるが、日本において顎関節症を専門とするものにとっては大変参考になるものである。
  • 登場してくる発言者として3−4種類の身分あるいは職種がある。
  • その発言の信頼度は科学者、研究者、専門家、健康増進関連職の様であり、最も信頼できる事柄は科学的に考えて合理的であることとに集約される。以下にその概要を紹介する。

●TMD (Temporomandibular Disorders)

  • "TMD"−TMJ シンドロ−ムともいわれる顎関節症−について、あなたは新聞や雑誌の記事を読んだことがあるかもしれません。おそらく、あなたは今までに顎が痛かったり、歯科医師あるいは医師からTMDであると言われたりしたことがあるでしょう。
  • もしもあなたがTMDについてよくわからなかったとしても、それはあなただけではありません。研究者達もまた、何がTMDの原因で、何が最良の治療で、どうやってこれらの障害を予防するのかという問いに対する答えを探し求めているのです。NIDRは、あなたがたとTMDについて知り得たことを分かち合う為にこのパンフレットを作りました。
  • TMDはひとつの障害を示すのではなく、ある身体状態の集まりであり、それはしばしば痛みがあって咀嚼に関連する顎関節(側頭下顎関節またはTMJ)や咀嚼筋に影響を与えます。実際にどれだけの人々がTMDであるのかわかりませんが、この障害は男性に比べて女性に、数倍の率で認められます。
  • 幸いなことに、顎関節や筋肉における痛みは、重大な病態が進んでいることを示すわけではありません。一般に、TMDによる不快症状は、間歇的かつ一時的なもので、しばしば周期的に生じます。最終的にはこの痛みは、ちょっとの治療により、あるいは全く治療をしなくても消失するのです。TMDで疼痛のある人々のうち、少数の人たちだけが、重症の長期にわたる症状を示すようになるのです。

●顎関節とは?

  • 顎関節は、下顎骨と側頭骨を頭の横で連結しています。あなたの指を耳の前方にあてて口を開くと、頭の両側で顎関節に触れることができます。この関節は可動性に富んでいるので、下顎は円滑に上下左右に動き、私たちは話をしたり、噛んだり、あくびをしたりすることができます。顎関節に付着する筋肉とその周囲組織は、顎関節の位置や動きを調節しています。口を開けると、下顎頭といわれる下顎骨の丸い末端は、側頭骨のくぼみに沿って滑走します。口を閉じると、下顎頭は元の位置に滑走してもどります。この動きを円滑に行うために、下顎頭と側頭骨の間には柔らかな関節円板があります。この関節円板は、噛むとか他の運動による顎関節への衝撃を吸収します。

●顎関節症とはなにか?

  • 現在、研究者達は顎関節症を大きく3つに分けることで、一般的に同意を得ています。
  • *筋・筋膜痛:これは顎関節症に最もよく認められ、下顎の機能を調節している筋肉や、首や肩の筋肉の不快感や痛みのことを示します。
  • *顎関節内障:これは顎関節脱臼や関節円板の転位や下顎頭の外傷をいいます。
  • *退行性関節病変:顎関節の骨関節炎やリウマチ性関節炎をいいます。
  • ひとりの患者が同時期に一つあるいは複数の病態を示します。

●TMDの原因は何か?

  • 顎や顎関節への強い外傷がTMDの原因となることはわかっています。強い衝撃は、例えば関節部の骨折をおこしたり関節円板に損傷を与えて、下顎の円滑な運動を妨げ、痛みやロックをひきおこします。顎関節の関節炎もまた外傷によって生じることがあります。
     他のTMDの原因は、明らかではありません。例えば、悪い噛み合わせ(不正咬合)がTMDの引金となると言う者もありますが、最近の研究はこの考えに異議を唱えています。歯に力をかけたりヘッドギア−を使うような矯正治療もまた、ある種のTMDをおこすとされていますが、現在の研究ではこれもありそうにないことだと言われています。
  • 加えて、ガムを噛むことが顎関節にクリックの雑音をひきおこすとか、クリックが重大なTMJの問題をもたらすということの科学的な根拠はありません。実際、クリックは多くの人に認められ、かなりありふれたことなのです。もしも痛みやロック等の様な症状がなければ、クリックは普通は治療の必要はありません。
  • 研究者達は顎関節にクリックやポッピングを示す人のほとんどに、おそらく関節円板の転位−柔らかな、衝撃を吸収する関節円板が正常の位置にないこと−があると考えています。関節円板の転位が、痛みや下顎の動きに問題をおこさない限りは、治療は必要ではありません。
  • 専門家達の中には、精神的あるいは身体的ストレスのいずれかがTMDの原因となったり、悪化させる因子になるかもしれないと言っています。TMDの人々はしばしば、夜間にクレンチング(くいしばり)やグラインディング(歯ぎしり)をしていて、これは下顎の筋肉を疲労させ痛みをひきおこします。しかし、ストレスがクレンチングやグラインディングを引き起こし、下顎の痛みをおこすのか、あるいはストレスが慢性疼痛や機能障害の結果おこるのかは明らかではありません。科学者達は、行動・精神・身体の要因がどのように結びついてTMDの原因となるのかを探求しています。

●TMDの他覚症状と自覚症状

  • 様々な症状がTMDに関係しています。特に咀嚼筋や顎関節の痛みが最もよくみられる症状で
    す。他には次のものが症状として考えられます;
  • *開口制限とロッキング
  • *顔、首、肩の放散痛
  • *開口時、閉口時の顎関節の有痛性のクリッキング、ポッピング、大きな雑音
  • *開閉口路における突然の大きな変化
  • 頭痛、耳痛、めまい、聴力の問題というような症状も、ときにTMDと関連しています。顎関節や咀嚼筋に時折生ずる不快感はごくありふれたことで、普通は重大な病態の原因とはならないということを、心に留めておくことが大切です。研究者達は、より簡単で有効な診断法や治療法を発展させることを目標にTMD症状を明らかにするために研究しています。

●診断

  • TMDの正確な原因と症状が明確でない為に、これら疾患を診断することはしばしば混乱を生じます。現在でも、TMDであると正確に確認するための広く支持された基準となる診査はありません。しかし、約90%の例では、顔や顎の簡単な診査法を組み合わせた患者の症状記録が、これら疾患の診断に役立つ情報を与えます。
  • 診査項目には次のようなものがあります;
    • 顎関節や咀嚼筋の自発痛と圧痛
    • 顎運動中のクリッキング、ポッピング、大きな雑音の聴診
    • 開閉口時の運動制限やロックの診査
  • 患者の歯科的あるいは医科的な既往歴を調べることは、非常に重要なことです。ほとんどのケ−スでこの評価が、痛みや顎の問題をつきとめ、診断をつけ、痛みやロックを軽減させるために治療を行うのに充分な情報となります。
    通常用いられる歯科用エックス線写真とTMJエックス線写真(経頭蓋エックス線写真)は、TMDの診断にいつも有効であるとは限りません。
  • 他のエックス線撮影の方法、例えば造影法(造影剤を用いた関節エックス線)、軟組織を描出することができるMRI(Magnetic resonance imaging)、断層エックス線写真(特別なタイプのエックス線)等は、通常臨床医が関節炎の様な状態を強く疑った場合、強い痛みがずっと続く場合、治療を受けても症状が改善しない場合にのみ必要とされます。患者としては高額な検査を受ける前に、他のインディペンデント オピニオンを得ることが賢明でしょう。
  • TMD研究の中で最も重要な分野のひとつは、これら疾患の診断を行う為の明確なガイドラインを発展させることです。ひとたび科学者達が合意できるようなガイドラインができれば、臨床医達は顎関節症を正しく診断したり、もしも必要ならばどのような治療をしたらよいかを決めることがより簡単になるでしょう。

●治療

  • TMDの治療において心にとめておくべきキ−ワ−ドは、"保存的"と"可逆的"という言葉です。ほとんどの患者さんはそれほどひどい病態ではなく、退行性変化のないTMDであるから、できるだけ簡便な保存療法が最もよく用いられます。保存的治療は顔面の組織や顎や関節に侵襲を与えません。可逆的な治療は、顎や歯の構造や位置に永久的また不可逆的な変化を引き起こしません。
  • ほとんどのTMDの問題は一時的であり、増悪することはないので、簡便な治療が不快症状を和らげるのに必要な全てです。例えば、柔らかいものを食べるとか、ヒ−トパックやアイスパックを使うとか、極端な顎の運動を避ける(大きなあくびをしたり、大声で歌ったり、ガムを噛んだりという運動)といった、自分自身で気をつけて行動することがTMDの症状を軽減させるのに役立ちます。リラックスやストレスを少なくするための特別なテクニックを学ぶことは、患者さんがTMDによる痛みとつき合っていくための助けとなります。
  • 他の保存的で可逆的な治療は、筋肉のストレッチやリラックスに目的をおいた自宅でできる理学
    療法や、短期間の筋弛緩剤や消炎剤の服用があります。
  • 健康管理者は、スプリントとかバイトプレ−トとも呼ばれる口腔内の装置を勧めるかもしれません。これはプラスチックでできており、上か下の歯の上に適合させるものです。スプリントはクレンチングやグラインディングを減らし、筋の緊張を減少させます。スプリントは短期間のみ使用すべきであり、長期使用により咬合に永久的な変化をおこしてはなりません。もしスプリントが痛みを引き起こしたり、いたみを増悪させた場合には、直ちに使用を中止し主治医に診てもらいなさい。
  • 保存的可逆的治療は一時的な疼痛、筋スパズムの除去に有効であると言われています。これはTMDを"治癒"させるという意味ではありません。もしも症状がいつまでも続いたりしばしば再燃するようであれば主治医にチェックしてもらいなさい。
  • 他のタイプのTMDの治療法には、たとえば外科的手術や注射等の様に、組織に侵襲を与えるものがあります。"トリガ−ポイント"と呼ばれる、痛みのある筋肉の部分に鎮痛剤を注射することも含みます。研究者達はこれらの注射が長期間の効果があるかどうかを調べる為にこのタイプの治療について研究しています。
  • 外科的な治療はしばしば不可逆的でるため、できれば避けるべきです。もしもそのような治療が必要であると言われたなら、あなたが理解できる言葉で、治療の理由、危険性、行いうる他のタイプの治療法などについて主治医に説明してもらいなさい。
  • 科学者達は明らかに不可逆的な治療、例えば外科的に関節を人工物で置き換えるような治療は、重大な疼痛や永久的な傷害を引き起こす可能性があることを学んできました。これらの人工物は正しく機能できなくなったり、関節から離脱しまったりすることがあります。これらの手術を行う前に、別の医師のインディペンデントオピニオンを得ることが大変重要です。
  • 他の不可逆的な治療はほとんど価値がなく、より問題を悪化させる可能性があります。これには咬合を変化させる矯正治療、咬合のバランスをとる為のクラウンやブリッジを用いた補綴治療、咬合に均衡をもたらす為に歯を削合する咬合調整などが含まれます。
  • ほとんどのTMDの治療における安全性と効果について、より多くの研究が必要とされていますが、科学者達は侵襲のある治療を考える前に、可能な限り最も保存的で可逆的な治療を行うことを強く勧めています。TMDの症状が慢性的になっても、ほとんどの患者は積極的な治療を必要とはしません。

●もしもTMDになったら…

  • TMDによる不快感の多くは、治療をしてもしなくても最終的には消えてしまいます。簡単なセルフケアー(クイントサイトにリンク***)を行うことで、しばしばTMDの症状が軽減されます。もしも、さらに治療が必要であるとしても、保存的で可逆的なものでなければなりません。咬合や顎を永続的に変化させる治療はできれば避けるべきです。もしも不可逆的な治療を勧められたら、必ず、信頼のおける他の医師のセカンドオピニオンを求めるようにしてください。
  • 多くの臨床医、特に歯科医は、TMDの保存的治療に精通しています。TMDは通常痛みを伴うので、病院や大学のペインクリニックもまた、TMDに対して良いアドバイスやセカンドオピニオンを与えてくれます。顔面の疼痛について特にトレ−ニングをつんだ専門医は、TMDの診断や治療を行うのにしばしば役立つでしょう。

●研究について

  •  NIDRはTMDの研究計画を積極的に支持しています。TMDの診断にとって確実なガイドラインを発展させることが最優先で進められています。TMDの原因、治療、予防の研究もまた進行中です。研究が続けられることで、TMDパズルのピ−スはゆっくりであるが、しかし確実に埋められているのです。

●パンフレットの請求先は以下のとおりです。

(For copies of this pamphlet write to:)
National Institute of Dental Research
P.O. Box 54793
Washington, DC 20032